上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
牛肉のことでガタガタ騒いでまんな。
実家に寄ったらテレビでそんなことを騒いどるニュースをチラっとみましたわ。
もともと俺様は「“やらかした”わけやから少々の汚染はガタガタぬかさんと受け入れまひょ」という立場。
しかし世の中の「消費者」はそうやない。
俺様もその現実を受け入れてアーでもないコーでもないと考えとるわけやけども、「リスクはリスクとして認識しまひょ」ということには変わりない。

しかしリスクをリスクとして認めたがらん人もいるわけ。
特に行政と原発を推進してきた人々。
それと原発災害に遭っている地域の人々。
「東京の人は普段は何にも関心がないのに、なんかあるとすぐ危ない危ないって大騒ぎするんだから。一番落ち着いてるのは地元の私たちですから。ほっといてくださいって思います」
http://kinpy.livedoor.biz/archives/51951861.html
ま、現場の人間としてそういう気持ちは分からんでもない。
リスクを認めると「風評被害が広がるんとちゃうやろか」と心配する気持ちも分かる。
だいいち札束で顔を引っ叩いて原発を過疎地に持っていき、それ以外の大多数は無関心を貫いてきたくせに、いざ生活の問題となるとギャーギャー喚く。
だから俺様は「ギャーギャー喚かんとリスクを受け入れろ」と主張してきたわけ。
それが原発被災地を支えることになるんやから。
いまだに俺様の気持ち的には変らん。
しかし原発被災地の人々の思いはそれだけやない。
原発は食い扶持でもあったわけやから、原発が有る事自体がメリットにもなってきたわけ。
ま、これは見方を変えれば、ただのシャブ漬けであって、俺様的には米軍を沖縄に押し付けるシステムより、もっとエグイと思っとる。
http://chousayoku.blog100.fc2.com/blog-entry-742.html#comment7585
当然、祝島のように戦い続ける人々もおるけども、現実の問題として原発立地にはメリットが有ったという話。

さて、もう一回地元住民の声に耳を傾けまひょ。
「東京の人は普段は何にも関心がないのに、なんかあるとすぐ危ない危ないって大騒ぎするんだから。一番落ち着いてるのは地元の私たちですから。ほっといてくださいって思います」
気持ちは分かる。
しかし現実には消費者と生産者というゴミのような分け隔てが有って、日本経済全体の問題も有る。
そういう現実を見れば「ほっとけない」わけや。
第一「ほっといてください」の先にある現実に、原発被災者が責任を負うことは不可能。
そして放射能のリスクを認めたがらへんかったツケが、いま福島県産牛の出荷制限という現実を招いたわけ。
最初からリスクはリスクとして評価していれば、ここまでの拡大は防げたはずや。
風評被害を抑えるためにはリスクをリスクとしてちゃんと評価すること。
そのリスクにどう向き合うかは社会の問題やろ。
俺様みたいに皆でリスクを分け合って、病的な健康好きを諦めるか(国際的な信用は無くなるけど)、それとも“消費者”が病的な健康好きを諦めず、原発被災者に補償金を渡して暫く生産を諦めてもらうかやろ。
最悪なんは、地産地消という綺麗な標語とムラの論理(「監獄の誕生」でも読みやがれ!)である“地元の声”に便乗して原発ゲットーを作り上げることに手を貸してしまうことや。

ほんで被災者支援は被災者の気持ちに寄り添えば上手くいくとは限らん。
被災者はただただ可哀想な存在ではなく、俺様たちと同じ人間であって、損得勘定で動くこともあるしズルイことを考えることもある。
今回の畜産農家みたいに嘘の申告をしてしまうこともある。

必要なのは今中はんが言うてること。
http://potthi.blog107.fc2.com/blog-entry-996.html
つまり被災者支援は被災者支援。リスクはリスクとして評価することや。
その中で、被災者個人の問題は究極的に自己責任で判断するしか無いし、社会の問題は社会の問題として強制してでも判断せなアカン。
ほんで食は社会の問題や。
社会にとって福島の生産と生産者は必要なんや。
だから社会が放射能汚染という現実に向き合って、福島の生産をどう再生させるのか。
ほんで生産者をどう支援するのかを決めることが重要であって、放射能のリスクを過小評価したり誤魔化したりしてたら、ほんまに生産者は消滅してしまいまっせ。


ほな。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。