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明治時代は一応近代国家を目指してたわけやし、国民からの強い要求もあって、議会を開いたわけよ。不十分やけどね。
そしたら天皇はあるものの、身分分け隔てなくなるかというと、そうでもない。
軍の存在や。
戦前の憲法では天皇のしたに軍と政府が並立して置かれ、文民統制は無いに等しい状態やった。
政治の部分は民主化(何度も言うが不十分)したけど、軍はどうか?
当然文民統制できてないわけやから、軍の論理、すなわち軍人勅論を軸に運営されるわけ。
江戸時代やったら「君恩」やけども、明治になって「国恩に報ゆる」に変わった。もちろんここでいう「国」とは国体のことで、職業軍人には受け入れられるけれども、徴兵された兵隊さんには「国体の恩?アホですか?」と言われるのがオチやから、報国という言葉は勅令からはしばしの間、姿をけすことになる。
けれども、いったん軍に招集されれば、「国(国体)恩に報ゆる」の論理で軍を運営していくわけよ。
でもね、こういう封建時代の感覚で「恩に報ゆる」なんてことを中心に置いたらどうなると思いまっか?
こんなもん戦国時代のサムライと同じように、功名争いが始まるのは目に見えてまんがな。
実際日本の起した戦争は、自衛の名のもとに行った侵略性の高いもんばっかりや。
これは日清、日露戦争も同じ。大義名分を作っては兵を進めるわけよ。
そこにはタイが採ったような小国家的な発想は無く、連帯して列強に立ち向かおうという姿勢も無かった。
もちろん国内をみれば様々な意見もあったけども、根っこの装置が「国(国体)恩に報ゆる」じゃ、兵を進めようとする勢力が大勢を占めてまうわけよ。
それに主権線の外に利益線を置くという膨張主義が基本やから、どないもなりまへんわな。

しかも問題がまだある。
当時、日本の戦争は職業軍人である将校とその下にある徴兵されてきた人々の問題や。
基本的に功名争いに参加してない徴兵された兵隊さんを縛る装置が必要になってくるわけや。
そこで軍隊内務令(1934)では「一意専心上官ノ教訓ニ遵ヒ思想従順ニシテ…」…まぁ絶対服従が規則やというルールや。
一方の将校はどういう位置付けかというと「堅確ナル軍人精神」「高邁ナル徳性」と優れた見識・技能を持つ人やと規定された。
要するに、下には「上級に従え」と。上級は「エライんでっせ」と。
でも、実際には徴兵された人の方が優れた見識と技能を持ってることも多々あるし、高邁なる徳性をもったはずの上官が、戦場において鬼畜の如き所業を行うこともあるわけで、さらに装置が必要になってくる。
そこでやっぱりでてくるのが、「国(国体)恩に報ゆる」ということや。
しかし国体は見てきたようにハッキリしてない(当時は)。
ここにハッキリさせへんかった理由があるんよ。
ようするに国体の名のもとに、上官の命令は絶対のものであるというルールや。
「上官の命は天皇の命と思え!」ってやつやな。

そんなご無体な!と思うかも知れへんけど、国体をハッキリさせへんことで可能となるわけや。これを忠節の横取りとも言う
これを理論付けなんかしてもうたら「天皇がそう命令したんでっか?」「省庁の通達があるんでっか?」となるから、将校は無茶な命令を出せんようになる。

ようするに身分制度としての国体を使ったわけよ。
職業軍人は国体の側に。それ以外は統御される者ということや。
しかしこれでもまだ問題が起こる。
1910年(日露戦争近辺でっせ!)長岡軍事局長の報告を紹介しておく。
「先週一週間だけで、軍隊内での自殺と脱走が13件も発生したが、その原因は兵に対する虐待と私刑だ」
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