上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
たった一週間で自殺と脱走が13件もある。
その原因は兵に対する虐待と私刑という報告が軍事局長からあった。
これをうけて軍は新たな内規を出す。
今までのやり方を少し変えて「将校団一家」「中隊一家」の家族主義になることを求めたわけや。
これは一見して、「人に温かい軍隊」と思うかも知れんけど、人に温かい軍隊なんか無いわけで、実際には訓練を強めつつ、目ぼしい兵に温情をかけるわけよ。
国体の意味を曖昧にすることによって、忠節の横取りをしてた将校やけど、家族主義の導入によってますます忠節の横取りが強まった。しかしさっきも言うたように、全体には厳しい訓練が与えられる。

その内容は学習と服従の一致。
学習といえば、軍人勅論やなくて教育勅語やと思うやろうけど、教育勅語ではまだ終わらんのや。
軍人勅諭によって学習したことを服従への一致にまで高めて完了する。
軍はこれを「軍独自の優れた教育」と自慢する。
平時の軍隊生活は「教練・演習・精神訓話・学科・内務」となるが、全てにおいて服従、それも絶対服従・人間丸ごとの服従を求めた。
だから平時の軍隊は24時間の教育機関として、非理論的な国体解釈と軍人勅諭をもって、国民を統御しようとしたわけよ。
まぁ、ここまでするのは「国民の反乱」への恐怖の裏返しでもわるわけやけども。
ちなみに「家族主義」を導入しても兵隊の自殺と脱走が、後を絶たんかったことは付け加えておく。

さて、軍の国民教化と皇軍の非理論性は15年戦争のころにはさらに横暴さを増し、「白人の作った国際法なんか知らん」ということで、兵隊に最低限教えなアカンかった国際法を、とうとう無視するようになる。
これが後に、戦争末期の戦略の非現実性とも合わさって、近隣諸国との間に遺恨を残すことになる原因の一つや。
戦前の教育は幼少の頃からの教育勅語に始まり、軍人勅論のもとで絶対服従を叩き込まれて完成する。
これは国体の側にいる権力者が教え、民衆がそれに従わされるという構図や。
こういう体制のもとで、自由な思想を保つことは難しい。もし自由な思想を持ったとしても黙るしかない。
その例を紹介しておく。
戦前、師範学校の講師をされていた教育学者の城丸章夫氏は、小論文の中で二人の友人についてふれている。
一人は「日本は負ける。戦争は止めるべきだ。」と言った友人。
もちろん投獄された。そして若くして獄死した。
もう一人は権力側の誤魔化しの精神主義に怒って「本当の愛国心を見せてやる」と言って特攻隊に志願して死んだ友人。
怒りの表現が押さえつけられてたとはいえ、他に道は無かったんか。。
しかし城丸氏自身も戦後すぐに、国体側にいた人間たちの下劣さを知ることとなる。
講師をしていた城丸氏に文部省高官が、占領軍の支持に従うだけではなく、好感を抱かれるべきやとして、占領軍教育担当官の前でヘラヘラしろというわけや。
そしてその文部省高官は城丸氏の前でヘラヘラぶりを実演する。
この高官は右翼的な文部省高官やったらしいんやが。。。
あの有名な「墨塗りの教科書」も占領軍の指示やなくて、文部省が占領軍の意向を先取りしてやったことや。
「お前らどんだけ卑屈やねん」て感じやけど、これも自分らのやってきた事の不当さの自覚があったという事やろ。

今回、メジャーな教育勅語やなくて、軍人勅諭を扱ってみたのは、戦前の日本人の考え方が教育勅語だけでは語られへんと思ったからや。
今の教育機関やメディアでは教育勅語や治安維持法が、戦前の国民精神を縛り付けてきたと言われるけど、ほんまは戦前一貫して正体不明の国体への忠誠を教育勅語と軍人勅諭とで叩き込んだんや。
この二つ揃って「国民の教化」が完成する。

それでも戦前をとおして見れば、良質な知識人や民衆による抵抗は止む事は無かった。
それはまた、紹介する機会があったら紹介しますわ。

ほな。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://a9leather.blog66.fc2.com/tb.php/101-acd806f9
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。