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面倒なので土佐高知さんところのコメントを転載

http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-1724.html#comment3792


戦前の日本は西欧の一神教と同じ視点の皇国史観を作ったわけですが、この皇国史観を作った人たちは、主体的に歴史を読み直し歴史を取捨して、国民統合のための背骨を作ったわけです。
しかし残念ながら圧倒的多数の「皇国派」は、それを道具として使ったわけで。
在特会なるものも、その主張を聞けば、道具として使うことを徹底しておられるようです。
新しい歴史教科書を作る会のメンバーの主張も同様です。
彼らは皇国史観を振りかざしながら、彼らこそ最も皇国史観に唾を吐きかけています。
レイシスト発言は別にしても、背骨を持たないm○×△さんも残念ながら、この部類に入ってしまいます。

さて加藤周一しかり、丸山眞男しかり、日本は西欧と違い本物の保守はいないと言いました。
たしかに西欧の保守と同質のものは日本には無かったでしょう。
日本の背骨になろうとした皇国史観は、受け継がれたものではなく、作られたものであるが故に、西欧の保守思想とは違い、内からにじみ出る力強さもなければ、それを背骨に措こうとした時、寛容さは全くありませんでしたから。
またナショナリズムが自民族の優越に転化し、多くの侵略の精神的支柱になりました(これは日本に限らずですが)。
皇国史観に立つ人も、この弊害については現実の問題として目を背けてはならないように思います。

ただこうやって、日本の「歴史」を眺めると残念に思うのは、日本の場合、皇国史観との距離が左右の分かれ目になっていて、批判も肯定もそこに吸い込まれているということです。
日本てもっと歴史のある国だと思うのです。
私には左右ともに「皇国史観」を乗り越えることが、社会と個人の自律的発展につながるのではないかと思うのですが。

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っで、官僚組織は皇国史観をオモックソ利用しまくってバックレタわけで。
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