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いえ、十分悪質ですけど。
っで(大阪弁封印)、日の丸君が代≠象徴を証明することによって、A日の丸君が代=B国旗国歌=C象徴の誤りを証明し、同時にA=B=Cを前提とした「マナー → 強制の正当化」も誤りであることを証明する。

(一)日の丸君が代の論理的分析

まず、単純な論理学で、?AならばB と?BならばC と分離検証する。

(1)A=B、B=A(本当に等しいのであれば逆も成り立つ)
日の丸君が代は国旗国歌である。
逆は国旗国歌は日の丸君が代である。

これは法律上正しい。しかしあくまで法律上であることを確認する。

(2)B=C、C=B
国旗国歌は象徴である。
逆は、象徴は国旗国歌である。
となる。
これは少々おかしい。
象徴はなにも国旗国歌ばかりではなく富士山も桜も象徴である。
論理学的に言えば、B=Cと仮定するならC=Bも成立しなければならないが、ここに「=」で結べない何かが存在していることになるが、おそらくこれは国民国家という捏造物を補完するために、国旗国歌というものの存在意義があることを追究すれば自ずと明らかになるだろうが、ここでは保留とする。

(3)A=C、C=A
ではABCの真ん中を外してA=Cを見てみよう。
「=」で結ばれているのだから、あらゆる「=」は成立するはずである。
正確を期するために「は」ではなく「ならば」で接続するが、普段語りの言葉で読むならば「ならば」を「は」に脳内変換すれば良い。
日の丸君が代「ならば」象徴である。
逆は象徴「ならば」日の丸君が代である。

ここでもやはり逆は正しいとはいえない。
詳しく見ていこう。



(二)「象徴ならば日の丸君が代である」

(1)日の丸

歴史的には日本を代表する旗として度々使用されてきた。
日の丸の由来は「日出国(ヒ イズル クニ)」である。
日出国ならば日の丸である。
日の丸まらば日出国である。
置き換えても意味的に間違いは無い。
すなわち日の丸は我々の歴史の中に意味づけられた存在であるということがいえよう。
しかしそもそも日出国とは中国から見た日本列島の位置づけである。
日沈む国も物語の中に含めると、その視点は朝鮮半島あたりか。
いずれにせよ大陸視点であり、とても日本のアイデンティティを表す旗ではない。
しかも史実においては江戸期に至る過程で、大陸文化の強い受容は無くなったのである。
そして日本列島において、真に日本的な文化は江戸期から花開くのであるから、大陸文化の強い「日の丸」が日本の象徴と成りえるのかは疑問である。
いや、近代国家という枠組みで考えると明らかに不適格である。
もし日の丸が日本の象徴(意味的に)として成立するのであれば、それは中華思想に毒されるか、東アジア一帯が一つの地域であると捉えた時である。

(2)君が代

これは日の丸と違い、非常に問題が多いと思われる。
まず君が代の起源について諸説あり、また現在ある古今和歌集を起源とする説は、もっとも学術的に弱い立ち場である。
よってまず史実に照らして君が代は象徴といえるのかを見ていきたい。
そして「君」が天皇であると仮定し、帝国憲法以来の天皇と国民との関係と、現憲法の法体系の天皇を見ていこうと思う。

(a)史実からの君が代
古今和歌集起源説のほかに九州王朝起源説や万葉集の挽歌起源説があるが、いずれも古今和歌集より古く、また古今和歌集説と問題なく合流することから九州説か万葉集説のいずれかが起源であろうと考えられる。
その二つのうち、現存する歴史資料や物証により、九州王朝→万葉集(挽歌)→古今和歌集の順で編纂され、現在に至ったものと推察される。
よって、君が代が天壌無窮である日本の象徴とされる根拠は、古今和歌集起源説と共に退けられる。
次に君が代が古今和歌集起源説に則ると仮定しても、「君=天皇」がもはや存在しないとう問題を論じる。
つまり南北朝時代を経て、南朝が滅亡したことによって天皇も滅亡している。
すなわち天壌無窮などということも現代においては成り立たない。
南朝の正統性は各学術資料によって明らかであり、近代においても学者たちの議論によって決着がついている問題である。
にも関わらず「血筋によって天皇は続いている」といった間違いや「北朝と南朝は両立している」といった間違いがある。
これはそもそも天皇という存在を理解していない議論である。
つまり天皇とは「まつり まつられる」存在であり、天皇が天皇たる存在意義は、唯一正統性のみであり、正統性の無い天皇などという存在はそもそもありえない。
史実からの君が代を見てみたが、九州王朝は大和に統一されており、現在の日本とは縁もゆかりもないものである。
そして天皇自身の問題から見ても、もはや君が代=象徴は成り立たない。

(b)憲法からの君が代
憲法に天皇が登場するのは帝国憲法からである。
その経緯を見ることによって国民と天皇の関係を確認したい。
帝国憲法は明治22年発布、翌23年施行されたが、帝国憲法は天皇の大権を与えるなど、天皇を頂点とした国家体制であった。
しかしそれまでの間、国民は政府の言うがままに大人しく待ち、そして大人しく受け入れたのだろうか。
否、事実は逆である。
そもそも明治維新は外国と勝手な条約を結ぶなどしてきた幕府への不満が契機であり、それを受けて五箇条の御誓文では、真っ先に合議体制の復活が掲げられたのである。
そしてその国民の願いは自由民権運動へ発展し、私擬憲法の量産となった。
私擬憲法では、共和制的な性格のものや天皇制の廃止につながるものまで存在し、国民意識では総意として天皇を認めていたとは言いがたいものであったが、明治政府は帝国憲法を一方的に国民に押し付け、異論は弾圧したのである。
その後、第二次世界大戦の敗戦により、帝国憲法は改憲手続きによって現憲法となったが、天皇の地位は国民の総意に基づく象徴となった。
しかし、このことは国政への不介入とセットであることから、国家権力の天皇利用を禁止したものであって、国民へ象徴天皇を押し付けるものではない。
その根拠として思想信仰の自由と表現の自由によって、天皇を象徴として認めないことが保障されていることがあげられる。また、現憲法の三原則の立場からも天皇条項が三原則と並び立つことは無いことから、憲法からも象徴天皇(天皇から連なる君が代)を認めない自由は保障されなければならない。


(おわりに)
以上、「日の丸君が代は象徴であり、国旗国歌のマナーとして、日の丸君が代の強制を正当化する」ということは出来ないことを、A≠Cという観点から明らかにした。
強制賛成論者の前提認識であるA=B=Cという誤りを検証していく過程で明らかになったことは、日の丸君が代が象徴になりきれない。特に君が代にいたっては象徴とする立場を取ることが困難であることが明らかになった。
このような象徴にもなっていない存在、論理的にも成り立たない存在を強制することは、一方からの思想の押し付けでしかなく、思想信仰の自由に反することである。
これらの問題を解決するためにはA=B=Cという等式が成り立つように最大限努力し、場合によっては大胆な変更も必要である。
そのように合意に努力するならば、「強制」という措置を取らずとも国旗国歌の問題は解決できるはずであると考える。


っで、ドアホなコメントは無視(晒し者にはするけどもw)。
相手にしてほしかったら相応の論でおねがい、、つーか俺に乗っかるんじゃなくて自分の論を組み立ててきてね(ハート

<追加>
うーんここで吠えてるけど、あっちの理屈にそって誤りを諭してあげたのに、ワシらの批判を聞き入れてくれへんて言うてまんなw
ははは、、相手にされるような論を持たんヤツの戯言やけど、かなり重症でんがな。。。
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