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このエントリーを読んで、仕事をしながらだらだらと考えてみた。

っで、近代国家システムの興隆という小論の中で「世界システムの未来」という項があるのだが、国家について相対的地位が下がっているというイマドキの左翼からすれば珍しくも無い分析はどうでもいいとして、ちょっと変わっているのは国連や地域共同体・企業・NGOの興隆に加え、民族の興隆によって国家が分解(溶解ではなく)されていると指摘しているところである。
第二次大戦以降、一民族一国家という思想によって国家が出来てきたわけだが、冷戦崩壊によってさらに民族意識が進行し、ソ連からの独立はもちろんのこと、それはユーゴ問題も引き起こし、また遊牧民族であったクルド人すら国家を得ようとしている。というものだ。
小論では触れていないが、これには当然 中国の少数民族も当てはまる。
多様な民族による民族意識の興隆によって、「国民国家」が細分化されているのが今日の状況の一面であると論じているわけだが、この国家の分解とグローバリズムの進行による国家の溶解(ないし相対的地位の下落)をみると、ウェストファリア体制以降の国民国家は内からも外からも切り崩され、踏んだり蹴ったりの状況なのだが、国際政治関係論の立場からすると、「国家なんてものは形を変えるのが常態であり、永遠に同じ国家の姿が続くと思うのが間違い」らしい。
ま、そりゃそうだろう。
この小論ではヨーロッパはローマ帝国から、中国は秦から。そして日本にも少々ふれて、国家と国家間の変容をちょこっとだけ説明してくれている。
そのちょこっとを見ても、国家と国家間は大きく変容しているのだ。

さて、未来の国家形態がどの程度の強制力を保持するのかは分からんが、人口調節すら強制できるような力を維持することは難しくなるだろうし、件のエントリーのテーマである○×間競争でも、国家が競争の主体になることは益々難しくなるだろう。
競争するにしても、国家間という枠組みじゃないと思うが、かといって民族が国家に取って代わるのか?といえば、民族も国家と同様に他のアクターによって溶解しているのだからそれも難しいと思う。
これは思っていた以上に国民国家を溶解・分解している他の力の方が有利であるというとだろうが、それじゃネグりの言っているような闘争が全面的に発展するのか?といえば大きな課題がある。
つまり中心になりつつある他のアクター(国連・国際機関・企業・NGOなど)を中心として扱わないと、ローマのように「気が付いたら、とっくの昔に世界は瓦解していた」という状況になるかもしれない。
いや、そうなる可能性は十分にあるだろう。
そうなれば「全体」の構築に失敗したということだから、「全体」の対抗軸としてのマルチチュードも構築されないわけで、「ネグりさん、ほぼ永遠にさようなら。いつの日か出番がきたら呼ぶから寝て待っててね」ということになる。
もちろんこの全体構築に失敗した状況はアナーキーな世界であって、できれば起こって欲しくない状況だ。

というわけで現実政治の中で辺境を中心に捉えなおしたアナン氏のグローバルコンパクトという概念はかなり正しいかも。
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