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>「綱領の立場を確信して」「どんな問題でも綱領の立場に立てば解決できる」

西欧式の「必然」による進歩的歴史観は当時の進歩的人々に安心と希望を与えたが、それは現実の社会主義の失敗や構造主義の立場から批判が加えられた。
そしてその構造主義もこんにちにおいては批判される立場となり、現在の到達点からいえば行為者主体の世界観にシフトしているといえるだろう。
構造に変化を与えるのは“生”の人間の運動しかないからだ。
つまり「われわれこそ、われわれが待ち望んでいた存在である」ということ。
この到達点と19世紀の後れた科学観・世界観の賜物(民主集中制や必然の歴史)は相容れるはずもない。

大切なのは党という器や党の意見ではない。立ち遅れた非科学的な党である限り役に立たない。
せいぜい反体制勢力として、せいぜい前衛党ではなく後衛党として存在しているだけである。
この呉民商のように、党としての体裁を保つために自発的な民主運動を妨害するに至っては、言語道断であり反革命的ですらある。
にも関わらず、少なくない党員が行為者としての立場を放棄し現実から目を背け、綱領(必然の歴史観・前衛党意識の名の下の自己保身)に逃げ帰ることは敵前逃亡と同じぐらい重い罪である。
そうではなく、行為者として目の前の問題と格闘し歴史を動かすことが、革命政党に籍を置く民商会員・事務局員に、いま求められるものだろう。

中小零細業者の地位向上・諸権利を守る運動など、多くの功績を残した先輩党員たちの意識も、そこにあったのではないだろうか。


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