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2010.10.27 支那膨張主義?
国際社会において基本的に「規範」なんてもんは無く、それこそ闘争の繰り返しのようなことが起こってるし、ナイーブな理想を持ち込むべきやない。
しかし人間社会が国際関係においても規範や価値を形成して、それに国家が従ってきたのも事実や。
なんで価値や規範が出来るかといえば、国家は倫理的な判断はせえへんけど、「我々」は常に目の前の国際問題に対して倫理的な判断を下してきたからや。
アパルトヘイトしかり、ベトナム戦争しかり、湾岸戦争しかり、アフガニスタンやイラク攻撃しかり「我々」は価値判断や倫理に基づく規範を判断してきたわけ。
しかも基本的にリアリズムに基づくアメリカの行動が、大儀がなければ国際社会を説得させられへんようになってるというのも事実。
この大儀とは現時点での原則的規範以外の何者でもない。
原則的規範には民族自決やら自衛の正当性やら侵略戦争の犯罪性があるやろう。
これは正戦論や人間社会の今までの経験から確立してきたもんや。

しかし一方で、規範ではカタのつかんモノもある。
国家内の権力が著しく正当性を欠くような行為をした場合のことや。すなわち、「正義無き平和」というやつや。
一つの例として東ティモールなんかがありますわな。
破綻したソマリア沖の海賊問題もありますわな。
この二つの例に対して外部からの武力で解決しようとするのは原則からは外れてる。しかし結果的に多くの命を救い、価値を形成するわけや。
この結果的な価値と原則的な規範は二律背反になるわけやけども、結果と原則に優劣をつけてどちらかを選択し、どちらかを放棄せなアカンのか?というとそうやない。
なんでかというと、この二つの問題は与えられるものやなくて「我々」が作り出していくもんやから、時間と空間によって選択するツール(原則か価値か)が変わるのは当たり前のことや。
「世界は一つ」とは、まだまだ言えんのやからな。

さてさて、規範や価値の海図とは一体なんやろかと。
結果的な価値については、はっきりいうて対処療法的なモンで、多数の利益というベンサムの功利主義ですわ。
しかし規範の形成はそうやない。
戦争の非合法化とか民族自決とか、それは「我々」が歴史的に経験した上に成り立ってるもんで、現実への批判から生まれてきたもんや。
確かにリアリストのいうように現実は甘いもんやない。
しかし国家を至上のもんと捉え、何回も世界をグチャグチャにしてきたことに対して、人民が「ワシらこんな世界に生きるのは嫌やねん」と規範を形成し、その規範に国家を従わしてきたわけよ。
いや、従わすというのは言いすぎやけど、少なくとも国家意思とやらにプレッシャーを与えて、原則からはみでた政策を採り難くさせてるわけよ。
それが今の国際社会の姿や。
つまり世界政府は存在せえへんけど、国家を従わせる権力があるということや。

次はやっとこさ話を中国に戻しますわ。

ほな。

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