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5回目というキリのエエところで最終回とさせてもらいま。
11月に入ったことやし、つまらんネタの記事も終わったことやしw

さて、ここまで支那膨張主義?では南沙諸島の中国の行動が古典的な理論では説明でけへん部分があることを説明した。
支那膨張主義?では国家を縛る権力について話した。
支那膨張主義?では冷戦の崩壊を比較的新しい考え方を使って説明した。
支那膨張主義?では権力の根幹の形成過程を説明した。

それらを踏まえて、支那俗物党の膨張主義が何でこの15年間、南沙諸島で足踏みしてるのか?ということを見る。
答えは俗物党も規範を意識しだしたからや。
しかし、まだ全面的に従おうとしとらん。そういう状態やな。
っで、我がニッポン人はどう対処するかというと、当然規範をもって対処するべし。憲法9条という規範を。

9条はまだ間主観的に世界の規範とはなってないローカル規範や。
しかし世界的に市民社会では「我々」とは言えんけど「わr…」ぐらいにはなってる規範や。
っで、畏れ多くも9条教の教義に反対する自称リアリストたちは「そういう世界が来たら良いね。でも現実はそうじゃないから反対」とか「ニッポンも普通の国(そこらに転がってる)になるべし!」とか、もっとワケの分からん理由になると「アメリカと一緒になって集団的自衛権の行使をしたいの!」とか言って反対するわけや。ん?、戦争ごっこはお前の脳内でやっとけと。
確かにリアリストからの批判にあるように「ニッポンは侵略され多くの死者を出しながらも非暴力を貫きました」というのであれば、その為政者は無能のレッテルを貼られるやろ。
しかし9条に反対する輩はニッポン人に価値として認められてる自衛「隊」の存在を都合よく忘却しよるし、その能力を過小評価し過ぎや。

っで、9条の実践というと改憲派から「日本だけ非武装になったら攻めこまれるやないか」というわけやけど、9条の実践とはそういうもんやない。
9条の実践とは9条をもって国際政治の中で国家というアクターを飛び越えること、したがって国民国家からの離脱によって排他的な市民権を破棄し人民の規範へ、したがって「その武器で死ぬのはどうせワシらやん。国権の発動たる戦争なんて止めろや!ボケ!」という人民の歴史的経験に裏づけされた認識をもって現状に異議申し立てし、支那俗物党もアメリカも全ての国家をも「我々の規範」の下に置くということや。

未来は必然的に約束されたモンやないけど変えることはできる。
変えるんやったらエエ方向に変えた方がエエやないか。

ま、教祖から言わせてもらうと、そういうことですわ。

ほな。
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