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ま、ウィキリークスや原発の対応を見とると、政府・行政機関はまだ真理の独占をやろうとしとるみたいやな。
それも一番幼稚なアホでもできる“情報を出さない・認めないことによって”。
古くは教会、近年では社会主義国のようなド官僚国家でやられてきたことやけど、こういうやり方はネット社会に移行した現代では難しいもんがおますな。
パキスタンの西部劇なんか酷いもんで9.11被害者遺族の「なんで??」に蓋をして、もはや糞B級映画にしか見えへんし、こんなもん正義もへったくれもおまへんがな。

っで、その真理―正義―やけども、時代は遡って人類が近代をいう時代に足をかけた頃、一人の狂人が「神―真理―は死んだ!」と騒ぎ立てよった。
確かに神の提示する真理なんかとっくに死んでた。
狂人は「真理なんか無いんやから各々が超人になれ!」と言うたとか。
っで、時代は進んでいって近代という時代にどっぷり漬かっていくわけやけど、人間は超人になるどころか次の真理を求めよった。
それが科学や。
神に取って代わって「科学」が真理を“実証”してくれよる。
まことに便利でおますな。
最近では“実証”が無い言説はデマ・誇張とされ、「科学」が正義の問題まで侵食して整理してくれよる。
ほんま便利でおますな。
しかし待てよ。
科学の歴史を見れば、積み重ねの部分と新たな学説で発展していく部分がある。
科学の対象全体がa―小文字―やと思ってたけど、実はaも含めたA―大文字―やったりとか。
そんな歴史を見たら“実証”科学も真理を体現してるとはいえまへんけど、しかしワシ等の社会は何かしらの指標をもって行動しとるわけで、その時に科学の到達点というもんは使わしてもらっとる。
つまり真理っちゅうもんに科学をとりあえず措置しとるだけで、真理のホントのところはやっぱり狂人が言うたとおり無いと思うし、それこそ“実証”なんかでけへん。
っで、真理は措置されただけのもんやから、そんなもんで正義を論ずることは正義にとって迷惑なだけや。
んにゃ、そもそも確たる正義なんてもんはあらへん。
ん?無いもんは独占もできまへんな。そもそも無いんやから。
ほなら無いはずの真理の独占―正義の独占―はどうやって独占されるのか?
それは真理の“ようなもの”と正義の“ようなもの”を組み合わせることによって、すなわちもっともらしい幻想、すなわち「誰かの物語」によってや。
それに対置するのはやっぱり真理の“ようなもの”と正義の“ようなもの”を道具として我々の物語を置くしかない。
それはどんな物語か?
たとえば狂人の言う超人へ―ただし個としてではなく社会として―、つまり物語を「かもがわフリーク」に答えるなら、どんな額縁に絵を入れるのかという問題や。(by若者マル読)
っで、新しい額縁を作るのに“実証”されたもんだけで作ろうと思うとパーツが足りんようになるさかい、やっぱりそこは人間の意志っちゅうもんが必要や。なんせ新しいモノを作るんやから。
だから“実証”科学は額縁を作る目安や道具程度に思っとかんとあきまへんで。
ましてや誰かの感じた“思い”を“実証”科学でコテンパンに批判するなんて事は、新たな額縁を作ろうとしてる人らにとっては自殺行為やし、そもそもそんなやり方は今日的には科学的やあらへんわな。
「非科学的」「デマ」「誇張」と批判する前に、やるべきは“思い”をラッキョの皮むきみたいに剥いでいって科学することですわ。

ま、いろいろ書いて突っ込まれる前に答えとくけど、俺様がその物語を作る方法は?と問われれば
「カオスの海をうねうねしながら」と答え
そこに「真理と正義に近づく道があるのか?」と問われれば
「知らん!」と答えとく(笑

ほな。


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