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わくわく原子力ランド
何度も自分の言葉で喋れとyuichには言うとるわけやけど、最近のコピペは無価値な感情丸出し一言コメントのアホンダラなりに記事との整合性を持たすように努力しとるようや。
俺様の希望とは違いまっけど、ここに人間の可能性を見ることができまんな。

っで、ある問題を説明する時に、設定が間違ってたら恐ろしいことになるという話。
たとえばリーマンショック以前に持ち上げられとったフリードマン。
一定のルールと市場原理が働けば、人々は理性的・合理的に判断するんやから世の中上手く回ります、という考えは蓋を開けてみれば間違ってた。
ほんで設定条件に資本が政治に及ぼす影響も加味されとらんかった。
そんなもん理性的・合理的になんか判断しまっかいな(呆
っで、この副読本(わくわく原子力ランド)の問題は、文科省と通産省、そんで電力会社と学者はんたちが設定してきた条件では間違ってないんやけど現実は違うということや。
災害は過去の例を見て合理的に判断したんやろうし、事故にしても人間の理性というもんを前提としとるんやろ。
しかし設定が甘いという批判は、ずっと前からあったわけやけども、そういった意見は“政治的な配慮”からか、排除されてきた。
っで、その理性的・合理的な条件を理論的に構築すると、「原子力は安全です」となるわけやけど、設定が間違っとるんやから、ひとつ一つの理屈は合ってても結論では大きく間違うということや。
それが「合成の誤謬」というやつね。

つまりこの二つの例は理性や合理性への過信が大間違いの根底にある。
それをまた機械科学的な理屈で論証するもんやから、結果はこっ酷いもんや。
リーマンショックは結局、経済的弱者と言われる人から地獄に引きずり込むし、原発は現在進行形でいまだ危機的状況にあって、このまま収束しても被害は甚大や。
理性的であろうとすること、合理的であろうとすること、それらを掴み取るのはエエんやけども、世の中そんなもんで説明つきまへんやろ。
感情や不合理を切り捨てるんやなくて、もう片方の手で掴んどかんと世界は見えてけえへんのとちゃいまっか。

湯川博士は混沌の話が好きやったそうな。
ほんで一見無価値に思えても、無用の用ということもある。
しかしそういったワケの分からんモンを「ふん( ̄▽ ̄)、アホンダラー」と排除・無視することを繰り返しては、皆でひっくり返ってきたのが近代というイデオロギーやろ。
俺様にはそんな世界が、真に科学的とは思えまへんし、その先に真に人間的な社会があるとは到底思えまへんな。
つーか嫌ですわ、そんな社会。

ほな。
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