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http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/kousou12/teigen.pdf


全体としてコミュニティを核として「集中から分散へ」となっとる。
これはエエ。
しかし生産については「分散から集中へ」となっとる。
これをどう評価するか。
単純な大規模集中やと所得増加につながらんやろ。
かというて、今のままやと産業自体が終わってまう。
雇用・継承・所得の確保。全部が達成できる枠組みを考えんといかん。
もうちょい悩みますわ。

原発災害については、やらんといかん事を列挙しとる。当然や。
しかしこれをそのまま国がやるとは思えん。
その時どうするか?
やはり民衆が立ち上がらんといかんわけで、それは“今”起きとる。

っで、この復興構想会議が提案する「新しい公共」を民衆が参加して、どう作りあげるか。
提言の結びで「喉元過ぎれば熱さ忘れる」という格言を紹介しとるけど、そのカウンターとして原発事故を挙げて「乗り越えんといかん!」というとるわけ。
もはや「元のもくあみ」になることもでけへんと。
そう。原発事故は他の事故や災害とは違ごうて、事故が起こった時がスタートや。
喉元をなかなか過ぎてくれまへんがな。

っで、この新しい公共の形を俺様的に言わせれば、もはや上から押し付けられる公共やなくて、我々の“法”による公共や。
自助とは“類”として。
パリ・コミューンに集う人々は食人鬼の存在すら忘れて自律に熱中した。
それと同様に6.11聖者の行進に参加した女優は感動のあまり泣き続けていた。

しかし我々は二度と食人鬼の存在を忘れてはあきまへん。


ほな。


追記:
「違ったタイプの人間の避けられない害悪」にも注意。
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