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「祖国が市民の共通の母親として現れるようにせよ、、、、
政府は市民が我が家にいると感じるのに十分なほど、かれらを公共の行政に参加させよ」
そして
「祖国は自由なしに、自由は徳なしに、徳は市民なしに存続し得ない」
と言いよった。
国民国家が出現するまでは、各地方ごとの郷土愛(文化や生活環境への愛着)しかなかった。
それが金と人の流通(ようするに資本主義の発展)によって、郷土と郷土がくっついて、祖国になるわけやけども、祖国愛の意味も郷土愛の意味も一緒なわけよ。
っで、ルソーは健全な愛国精神を育てるには、自由と民主主義が大事でっせ。市民の人権も大事でっせ。というとるわけよ。

っで、我がニッポンを振り返ってみるとやな、幕府体制ではそれぞれ藩に分かれて「お国」があったわけで、郷土愛というもんはあっても国家としての祖国というもんは無かった。
ほんで、明治維新によっていきなり近代国家の枠がでけたわけやけど、祖国愛というもんを醸成する時間が無かったわけやな。
祖国愛の代わりに現人神を置いて、それに忠誠を誓わせるわけやな。
天皇皇后がアンタたちの父母であって、アンタたちは天皇の赤子やと。神さまが居てくれるなんて、ありがたいことやないかと。
もちろんこれは上からの統制であって、こんな体制を作り上げるには、いままであったお寺や思想を粉砕したり、神社の名前も変えてみたり、皇民としての思想教え込んだりして「ニッポンの伝統」を作ったわけよ。
ちゅーても、人間の心なんてそんなにすぐには変わらんわけで、明治10年ぐらいまでは不満分子がワンサカおって、百姓一揆なんかも多発しとった。
そりゃ国家が作り出した嘘なんて分ってるから、なかなか言うことききまへんわな。
西南戦争も結局、士族の力を借りて押さえこんだもんやから、その後も政府は苦労するわけよ。
政界も離合集散を繰り返し、とてもやないけど一体感なんてものは無いわな。

こういった時代背景の小説が「坂の上の雲」なわけで、まぁ前半に関しては青春群像?後半は戦争小説?みたいな小説で、特に明治維新によって生まれた若いニッポンという国家と、若者が歩調を合わせて成長していく様子に、共鳴して多くのファンを掴んだわけよ。
でもなぁ、これが昭和の人の精神構造やったら分らんでもないんやけども、明治の人々でっせ?
日本は祖国愛を醸成する時間が無かったんでっせ?
明治前半の国家と個人の一体感なんてあるはずないやんけ。
秋山兄弟は出世するにつれてそんな感覚に陥ったのかもしれん。
せやけどちょっとオーバーなんちゃうけ?
戦前日本の一体感は戦争と共に醸成されていったもんや。
要するに排外的なナショナリズム。
たぶんこれは、昭和の軍国時代を生きた司馬はんの個人的な感覚で、明治を描いたんやろうな。

ま、坂の上の雲は小説やから面白かったらエエんやけど、歴史修正主義の皆さまは勘違いせんように。
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