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この軍人勅諭の忠節やけども、武士の世の中やったら殿様に忠節を誓って録をもらうわけやけど、明治政府は曲がりなりにも近代国家として生まれたもんや。
ほなら一体ナニに忠節を誓うんや?という問題が起こる。
っで、戦前ではこんな時に出てくる言葉が「天皇」や。
ほなら天皇だけに忠節を誓えばそれでエエんか?というとそうでもない。
天皇への忠節も大事やけども、「国体」こそが一番大事やと言いよるわけや。
ところで国体の意味は分ってまっか?
最近では大学のテストでも、国民スポーツの祭典と答える人がいるみたいやけど(平和でエエことなんやけどな)、ちゃいまっせ。
ポツダム宣言の時に日本の指導者がこだわったのも国体護持や。
国体を辞書で調べるとこう書いてある。
?国君の手足ともいうべき最も信頼する大臣(孔子はん)
?国家の典章や制度(成帝はん)
?国の体面(孔子はんの子孫)
?国家の統治体制
とある。???までは支那(中華思想を諌めるためにあえて使う)で2000年以上前からある言葉や。
ポツダム宣言を?番に当てはめると、とんでもない話になるから却下。
??番は近いようやけど、当時の日本がこだわったんは?番の国家の統治体制としての国体や。

この国体の意味は当然、支那には無く日本の国産。
?の意味の国体がいつ生まれたかというとやな、1825年に会沢正志斎(せいしさい)が書いた新論(しんろん)に、明治で使われた意味の「国体」が出てきよる。
ちなみに正志斎は水戸藩の大プロジェクトである大日本史を仕上げた一人でもある。
だから太古の昔から続く天皇中心の国なんてもんは嘘っぱちなんやけども、教育とはおそろしいもんで、大嘘が国民の中に徐々に浸透していくわけよ。
この概念が生まれてから100年も経ってない「国体」なるものに、軍人勅諭では「忠節を誓え」というわけ。
でも「戦前の人々は国体の意味を現代人よりも深く理解していた」と思うのは早計でっせ。
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